螢坂

螢坂

 三軒茶屋のビアバー《香菜里屋》を舞台とする連作ミステリ短編集の三作目。相変わらずマスター工藤の手による美味しそうな料理と常連客が持ち込む不思議な物語を解き明かす彼の推理が冴える作品に仕上がっています。今までの作品の中では一番好きかもしれません。
 収録された5編はどれも心に染みるものばかり。ささやかな出来事の裏に隠れた人間の心の動きは切なく,辛く,けれどもまた優しさに満ちています。特に好きなのは表題作「螢坂」と「孤拳」の2編。ともに亡くなった人たちの想いとそれを受ける人たちの心の動きが美しい作品となっています。そして「雪待人」。これも美しい作品ではありますが,それ以上に気になるのが工藤の謎めく過去の一端が仄めかされているという点。「雪待人」の最後で示された「あいつ(=工藤)も待っているんですよ。ずっと昔から」という言葉。工藤は誰を待っているのか? それが明かされたときこのシリーズは終わるのでしょう。それがなるべく遠くであって欲しい,そう思います。その一方で工藤が誰を待っているのか,そして彼の過去に何があったのかを知りたいと欲する自分もいるのです。